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名古屋の幼稚園

2020.12.16

たくさんの園児を育んだ名古屋の幼稚園。先生もお父さんとお母さんもきっとここで。思い出たくさん詰まった幼稚園。その園舎が今年いっぱいでさようなら。最後の年なのに、噂の流行り病で楽しみにしていた行事もいくつか消えてしまった。

忘れもしない。去年だったか、その前だったか、も一つ前だったかの夏か冬。京都国際マンガミュージアムで紙芝居のワークショップをしていた。お客さんが紙芝居を作ってみせるのだ。ただ作らせ演じさせるだけでなく、そこにも一工夫があって。偏差値で評価されない子どもと子ども心の光がパッとキラッと輝く紙芝居。それに師匠ヤッサンは”パッキラ紙芝居”と名付けた。昔から僕は師匠のネーミングセンスはどうかと思っていて。絵の上手い下手、滑舌、テクニックなんて意味をなさない、子ども達と子ども心が光を放つ。知らぬ人たちが集まり、別々の紙芝居なのに、なぜか少し大きめのちゃぶ台囲むように繋がりが生まれる。二度と再現できない、普段の紙芝居よりも、よりお茶の間のような紙芝居。

そこに二人の女性が遅れて来た。聞けば名古屋からお越しの幼稚園の先生。僕の紙芝居も見ぬまま、口演依頼をいただいた。いいんかな。いいんだろう。今年の12月の頭、去年に続き二度目の口演依頼。子ども達の作品展の席。その幼稚園の園舎と今年限りでさよならするそうだ。今回は紙芝居口演だけでなく、子ども達の元気を吸い込んだ遊戯室に絵を描くお仕事も。こんな経験初めて。いいんかな。いいんだろう。どこの幼稚園にもきっと楽しい面白いが詰まっている。そしてその幼稚園もやっぱり楽しくて面白くて少し変で(いい意味で)。楽しくて面白くて変な人な(いい意味で)園長先生がいるんだから、やっぱり集まる人も楽しくて面白くて、少し変な(いい意味で)人が集まる。

夏には園庭で炎を囲む、毎年楽しみな行事も噂の流行り病のせいでなくなり、やっぱり別れるには心残りな一年。幼い頃、囲んだ炎の思い出はいくつになっても消えない。僕の人生でも多くの炎を目にして来たし、今日も夜更かししながら炎に当たっている。きっとこの幼稚園と僕だけでない、炎には人を惹きつける、大昔から人のDNAに刻み込まれた魅力があるんだろう。

遊戯室いっぱいに描く絵をそんな子ども詰まった炎を囲む森にした。結局、僕の思い出の景色。遊戯室の壁にも天井にも地肌なんて残さないくらい塗ることに。けどそんな大変は全部、先生任せ。下見に行った際、僕がチョークで描いたラインに沿って、夜空、木の幹、木の葉をぬってもらって。大変だったのは先生達で、そこからは僕も大変をさせてもらって。子ども達の作品展と紙芝居口演日から2日前からの幼稚園。子ども達と、先生との会話、ぬくもりが見える。

子ども達が帰る前、いくつかのクラスで紙芝居をしていた。聞けば毎日してるいるという先生も。毎日顔あわせる子ども達に毎日紙芝居。子ども達が先生を紙芝居屋さんだなんて呼ばないけど、今の子ども達にとって紙芝居の思い出はきっと幼稚園。皆が帰った後、一人の園児が残っていた。たくさんのクラスメイトはいなくなって先生と二人の時間。幼稚園時代。こんな時間、それほど多く持てなかった。自分だけを見てくれてる特別な時間をあの頃、上手く言葉にできなかったけど、自分だけに笑いかけてくれる笑顔と言葉がなんだか照れ臭くて、もったいなくて、そんなにも多く持てなかったぬくもりが心に残っている。こんなことなら週に一、二度でなく、もっとウンコ漏らしとけば良かったな。園舎はもうすぐなくなってしまうけど、子ども心の思い出はいつまでもきっと園舎に包まれ残ってる。思いもしないところに毛が生えたり、薄くなったりしても、きっといつまでも残る子ども心の思い出は一生の宝物。紙芝居と聞いて足を運んでくれる人にはきっと残ってるだろう子ども心。僕にも残る子どもこころで向き合いたい。

子ども達の元気が爆発したのは遊戯室だけでなく園庭でも。だから園庭の壁にも絵を描いた。作品展当日。園を卒業した、幼稚園の頃よりはほんの少しおじさんおばさん化した子ども達がお世話になった先生達にのもとに集まる。それらを先生達は多くの時間を通して育んだぬくもりの記憶を辿って覚えている。先生って生き物はやっぱり凄い。あったかい。敵いっこない。先生でもない、親でもないポジションで僕は紙芝居屋として子ども心と向き合いたい。家、学校、幼稚園、保育園だけでなく、もっともっと子ども達に居場所を。面白い大人を。一足先に卒園して飛んでいった鳥にならまたいつか会える。