去年のことなのに、まるでつい10日くらい前のように鮮明に思い出す。
ケーキを食べれるのは同じ屋根の下に住む人の誰かの誕生日か、年も終わる一週間前の晩。
そう石器時代から決まってある。
それ以外に食べるのはなんだか贅沢に思えてとてと食べれない。
我が家はサンタクロースはクリスマス、全ての子ども達の家を周り最後に帰って来るところ。
なのにイブの夜。
まだ誰も寝静まることない時間。
さぁ、ケーキというタイミングでサンタクロースがやって来た。
皆が寝静まるどころか、皆の目が一番輝き起きている時間。
煙突あるのにそれも無視して、玄関からやって来た。
空気読めないサンタクロースってのは顔が下手くそなゴリラなのか。
何故、サンタクロースとゴリラをくっつけてしまったのか。
ゴリラのサンタクロースは白い袋からプレゼントを出し、僕を無視してプレゼント。
小さな葉書サイズの厚紙を紙芝居にして、プレゼントもらった以上見るしかない空気、つまらない物語見せつけて、玄関先から出ていった。
その後、すれ違うように、8年間我が家に住み着き、去年の2月に家を出したはずのぼんまるが超笑顔でやって来た。
相変わらず薄気味悪い笑顔。
クリスマスイブなのに、手ぶらでやって来た。
目線はテーブルの上のケーキ。
どういうつもりなんだろう。
一人増えた分、ケーキは少し薄くカットされる。
手ぶらで来て何もしてないくせに、誇らしげに笑顔でケーキを貪っている。 偶然だろうか、靴はさっき来たサンタクロースと同じ靴。
ぼんまる分、薄くなったケーキ。 それでも皆、笑顔で食べている。
僕も大人だ、我慢しよう。
来年はサンタ帰ったら、玄関鍵しておこう。
まだ彼を、紙芝居屋にしてやれてない。
だけど、僕はのんびりゆっくり自由の心に育てられ、今も紙芝居目指して紙芝居に生きている。
次は僕の番。
ぼんまるだけの物語、紙芝居をぼんまるは生きている。
この可愛くない男を、未だに僕には愛おしくなんて思えないが、彼にしかなれない彼の人生をそのまんま生きてほしい。
昔からヤッサンのいた家には“友の家”という空間がある。
彼に限らず、いつでもただいまと言える家。
我が家にはいつも家族でない家族がいた。
小さなちゃぶ台。
そこに人が増えたなら皆で分け合い、その分、笑顔を大きくする。
それが僕の学ぶ紙芝居。 僕の人生。
逃げられない。
心地いい。
テレビで流れる知ってるはずの見知らぬ世界が少しずつ大胆に本性を表している。
この先、近い未来。
何が起こるかわからないから人生は、この星は楽しい。
それならば、ありのままに。
自分のままに。 我がままに。
2021。 どうなるのかでなく、どうするか。
思うように好きに生きていい。
手元にはハンドル。 足元にはアクセル。
しっかり握って、強く踏もう。
三ヶ日終えた。
お年玉もらえなくなってからの正月になんてなんの未練もない。
さぁ、走ろう。