「紙芝居がはじまるぞぉーっ!」
拍子木叩き、まわる京都国際マンガミュージアム館内。
冬休み終え、子ども達の姿は消え、海外の人ばかり。
ちゃんと学ばなかったせいか、学校で習ったはずの英語はあまり役に立たず、絵で伝わる“絵会話”でなんとかやってきた。
一人うずくまり座り込む金髪の少年。
頭をかかえている。
少し離れた距離、家族が声もかけれず、どうしたものかといった目で見ている。
最終口演、館内は人が少なく、紙芝居小屋戻って、誰もいなかったらヤだなと思いながら拍子木叩きながら呼び込む。
京都国際マンガミュージアムは元小学校。
何故か年中緑の芝生のグランドに出て空に向かっておもいきり叫ぶ。
「紙芝居がはじまるぞぉーっ!」
気持ちいい。
これは師匠ヤッサンへの挨拶。
「いってきます」
いつも思う。京都の真ん中で叫べるのって紙芝居くらいだぞ。
月に一度、浅草寺でも清水寺でも叫んでる。
それが許される紙芝居屋。
ありがたい。
拍子木叩き、呼び込み終え戻る紙芝居小屋。
帰ってくる僕に背中向け座るお客さんの数は少ない。 最初の回が、日本人学生と韓国人学生40人で賑わってただけに、なんだか気持ちはチェーになる。
自転車に乗せた舞台の横に立つ。
お客さんと向き合う。
あ、さっきうずくまってた少年だ。
せっかく上げた顔は前髪に隠されて目が見えない。 あれ?少年だったと思ったけど、少女だったかな。 どっちでもいい。
お父さん、お母さん、お姉さんの4人家族。
「ふぇアゆーフろーむ?」
精一杯の英語弁を使ってみる。
オーストラリア。
コアラとカンガルーが人間より多く生息する国ぬらい知っている。 お客さんはもう一人、ペルーからの男性。 5人だけ。
だけど、手は抜けない。
「なんでこんなところに連れて来られてるんだ」 そんな気持ちが僕にだって経験あるし少しはわかる。
構いすぎずに、意識しすぎずに、向き合いすぎずに向き合う。
媚び売らず、作り笑いせず。
くすぐる手は、触れなくてもくすぐったい。
だけど、それは心許した間柄。
知らぬ人にコチョばされても気持ち悪いだけなのだ。
いかに距離を縮めるか。
金髪の少年が少しずつ顔を上げる。
隣に座るお父さんが、チラチラ我が子を気にしている。
前髪の間から色素の薄い綺麗な目が見える。
唇が少し開く。
クイズに手を挙げ、正解するお父さん。
指輪のプレゼント。 そのプレゼントはお父さんからお母さんへのプレゼントに。
すぐそばの陽気なペルー人の笑い声はデカくて、ヘンテコで、見知らぬ人と、異国で祝う抜き打ち結婚式。
金髪少年が照れくさそうに笑う。
見てるこっちだって照れくさい。
子どもサイズの指輪は、第一関節まで。
拍手は紙芝居小屋の入り口の、後からやって来たお客さんからも。
国を超える。 言葉を超える。笑顔が笑う。
金髪少年が顔を上げて僕の目を捕まえ見つめ返してくる。 そこで初めて向き合う。
その我が子の横顔をお父さんが眩しそうに見つめ、僕にも笑顔をくれる。
それから、手を挙げた金髪少年のお姉さんは実はお兄さんで、性別だって超える。
我が子、我が弟ほったらかして笑えぬ笑顔。
言葉通じずとも絵で伝わる絵会話。
笑顔伝わる笑会話。
もらう拍手。
水あめ分け合い食べる家族。
活かし生かされる時間。
たまに凹んでしまうこともある心が膨らむ瞬間。
師匠、父、ヤッサンの見てきた世界が、心が少しだけわかるような気がする瞬間。
この星で唯一胸張れるひととき。
炎囲み、照らし照らされるような時間。
夕焼けに向かう帰り道。
明るく、あったかく、熱く、眩しい炎と夕焼けと父はよく似ている。
いのちと紙芝居。良いものを授かった。
しっかりと活かし生きたい。
人生、日々、紙芝居。