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自分の心を知ってる人達

2019.08.01

ほったらかし温泉の山奥にいた頃。
ほったらかし温泉社長に言われた言葉。
「岸を離れたキミの船。 何処に辿り着くかなんてキミにもわからないよ。」

幼い頃から仲間と呼んだ仲間と夢見た夢は、気がつけば山の中一人と一匹ぼっち。手放すつもりはなかったけど、手から離れ何も持たなくなったら、強くつかんでくれた山で出会った熱い手があった。なのに力及ばず、離れた地、山梨。

「もしかしたら、キミはお父さんと同じで紙芝居屋になるかもね。」
これも、ほったらかし温泉社長の言葉。遠回りしたつもりはないけど、一人になってようやく心の音が観えたように思う。

つかみきれぬ縁がたくさんで、そのたび自分の握力のなさを痛感。
藁をもつかむ思いなんて言ったら失礼すぎてごめんなさいだけど、今回、僕がつかんだ手に握り返され、久しぶりに感じる体温をあったかく感じた。同じ人間でも、皆、違う個体。わかるよなんて、とても言えない。わけのわからない魅力をわけのわからないまんま、飲み込んでみる。わけがわからないからこそ面白い。わけわかるときっとつまんない。

つかみあった手でお互いの人生を引っ掻き回したい。 引っ掻き回されたい。そんなわけで、僕は最近、今まで縁のない、愛知県知多半島にいる。7月の27〜29日の3日間。

もうすでに夢の中にどっぷり浸かった僕は、夢さんと呼ばれる人と知多半島を紙芝居でまわった。わけのわからぬ魅力放つ夢さんの魅力を知る人が寄ってくる。僕はそこにただ乗っかる。そして寄ってくる人は皆、やっぱりわけがわからぬ人ばかり。なんだかその輪にいることが嬉しくて、誇らしい。聞けば、皆、知り合って一年も経たぬ間柄。人との付き合いは、付き合った年月でないこと、山梨の山の中で学んだけど、僕にも残る “まとも” な心が、わけわからぬまんま心喜ぶまんま波に乗る。

夕焼けのブランコから見える夕焼けの海が見える家。 ここでは7月頭以来、2回目の口演。まだ冷蔵庫勝手に開けれる間柄ではないが、宿主寝た頃、こっそり冷蔵庫開けれる家。たくさんの笑顔が集まる場所にと今年見つけた家。 もうその家にはたくさんの笑顔が集まっていて。 いつまでも大切にしてる夢見る子ども心に人が集まっている。

15年間務めた仕事を辞めた夫婦のゲストハウスも今年オープンしたばかり。そこにもたくさんの笑顔が集まっていた。夢って言葉にまとめてしまっていいのだろうかわかんないけど、つまづいて転んで穴に落っこちても、進むべき遠くに見える灯火あれば進んで行ける。 流行りの曲に心の音聴こえなくなったり、街の灯りで星空観えなくならぬようしっかり道しるべ持っていたい 。会う人全て、心のまんまに生きていて自由を感じた。その灯りは、そばにいる人まで照らすのか、周りも輝いている。 外から照らされる灯りだけでなく、皆自分からも発している。皆眩しすぎる。

知多半島で一番高いところから見下ろす海。
時間の森。

ここに来たのは忘れもしない、2回目か3回目。 いや4回くらい来たかも。僕が山梨で叶えれなかったものがここにあって、ここも僕には眩しすぎる。これを築いたカップルも一つのことを真っ直ぐ貫く天才なのだろう。何度転んでも挫けても、真っ直ぐ歩き続け辿りついて、まだ歩み止まず歩いてる。その強さと太々しさぼくも身につけたい。じっくり聞かせてもらいたかった夜。ちっとも関係ない下ネタに盛り上がり、夜とお酒をもったいないことしてしまったのが、この旅一番の心残り。

飼い育てる牛を愛し過ぎて、最後はしっかり食べてやる牛小屋の主。はじめましてのこの人を理解なんてできるわけがない。毎月29日を肉の日と決めて、山の中の牛小屋は肉屋さんとなる。頭では理解できっこないこだわり、信念も、舌で感じる味に納得させられる。わけがわからないから面白くて、楽しくて、きっと美味しいんだろう。陽も想いも熱い場所で、お肉ご馳走なる前の紙芝居。今度は夏の暑い日避けて、お客さんとして29日に腹ペコで食べに行きたいな。

最終口演。 カフェ明日歩花。(あすぽか)
ここも出来たてのカフェ。お母さんが始めたカフェ。大人になっても夢にドキドキする姿はきっと子どもにも眩しく映る。その子どもの夢はカフェの店員さん。 我が子の心、進む道まで照らすお母さん。 素敵すぎる。ここにもきっと既に笑顔が集まっていて、僕は紙芝居で少しくすぐるだけ。僕の紙芝居より、お客さんのヘンテコ発言に皆笑っている。それでいいのだ。一方通行でなく、双方向。お客さんと皆で囲む大きなちゃぶ台、皆で囲む炎が僕の紙芝居。

流れるギターと音と、飛んでると、わってしまいたくなるシャボン玉とはきっともっと深く繋がれて、もっと笑顔の輪を大きく出来る可能性を感じる。

この頃、“夢” とか言ったら押し付けがましく、かえって難しいのかなって思っていたけど、僕の手を生暖かく握ってくれた手の主のは 夢さん。僕には凄くわかりやすい。

365日、親の死に目にあえないくらい忙しく飛び回るようになりたいけど、帰る家は一つ。「ただいま」 と言える家。なのに、知多半島で出会った人達にまたその枠を壊された。心落ち着ける ただいま 言える家。うたた寝しても布団かけてくれるような、チクワとカマボコ僕のオカズから外してくれるような、お寿司の上の部分だけ食べても許されるような、トイレ流し損ねても誰かが流してくれるような、そんな温もりある家が日本中、世界中にあったらいいな。

7月の終わり、夢さんはじめ、たくさんの人に包まれました。
僕の知ってる日本語では、ありがとうございました。 でしか伝えれないけど、これからの長い付き合いの中でも、しっかりじっくりねっとり返していきたいです。

ありがとうございました。

僕が出会った人がたまたまそうだったのか。 知多半島の人は皆ああなのか。多くのことを知ってるってよりも、自分の心を知ってる人達が住んでいる地。

岸を離れ漕ぎ出した僕の船は知多半島に。
また離れ、また戻ってきたい。

感動が日々の感動に埋もれぬうちに、残しておこう。

だんまるのFacebookより


#知多半島