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ぼんまるの話

2020.03.18

また、ぼんまるの話。

4月2日。東京タワーが青く染まる自閉症啓発デイがやってくる。この日だけでなく僕らは毎日を生きている。2011年。この年も大変だった年。その年の12月1日。我が家に大変がやってきた。

ぼんまるを内弟子として預かることに。それからまる8年。きっと誰よりも多くの時間と情熱をぼんまると生きてきた。おはようからおやすみまで。当たり前に毎日顔合わす環境では学ぶ気にはなれないのか。すっかりこちらの話など聞いていない。三月の頭。だからもう我が家から出すことにした。

僕の住む田舎町で心あるたくさんの人の温もりに触れ、ぼんまるは生きている。最初は牧場で牛に蹴飛ばされながらも、今ではきっとたぶん少しはちょっと役に立てる人間になったのだろう。たぶん。その牧場主さんからまた縁をいただき、隣町で養鶏の仕事もするように。そこでもたくさんやらかしてはいたようだが、今、そこの養鶏主さんの離れの部屋に住まわしてもらうことに。ありがたい。

学びたい時においで。

あれから、半月。ぼんまるのいない生活。ブロッコリーの入っていないすき焼きのようだ。せいせいする。一昨日の夜。「こんばんは」すりガラスの向こう、薄気味悪い人影。ぼんまるだ。

玄関は開いている。ただいまと言って入ってくればいい。「ちゃんと食べてるのか?」と普段厳しい女将さんが目を潤ませ聞いている。ちっともぜんぜん可愛くない男、ぼんまる。だが、8年。たくさんの苦楽と、悲劇と喜劇を共に演じて来た。家族でも友達でもないが、他人ではない。

使っていた部屋を掃除しに来たそう。すごいな。掃除せずに出て行ったんだ。ついでに出る前にわった窓ガラスもなんとかしてほしかったけど、多くは言わないことに。諦めたわけでなく、ぼんまるの成長を願っている。ぼんまるが紙芝居を学びたいと言う以上、師匠ヤッサンが残したぼんまると向き合っていく。これは決めたこと。

病院行けば病名つけられるこのご時世。ぼんまるはぼんまるという病気と個性を生きていて、僕は僕という病気と個性を死ぬまで生きる。そして、今、世界を震撼させる得体の知れない病気。歩きづらかったのは今始まったことじゃない。不安定をずっと行き来た。問題あるが問題ない。トイレットペーパーなくてもともとウンコしない僕には関係ない。今大変なのは誰のせいでもない。一本定めた自分の道を歩けばいい。それでもやっぱり大変だから、今までより一歩一歩を強く踏み込みたい。

あれから一年。また青く染まる東京タワー。

世界を震撼させる得体の知れない病に、この日のイベントはなくなった。この日に向けて、ぼんまると何かして来たか。やれなかったのか、やらなかったのか。やらなかったのだ。この日だけ、僕やぼんまるが生きている日じゃない。毎日がエブリデイで、もがきながら楽しみながら生きている。ぼんまるにしか生きれない人生と紙芝居で輝くぼんまるを誰よりも願ってる。