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注文の多い紙芝居屋

2020.07.27

二人の若い紳士が、すっかりイギリスの兵隊のかたちをして、ぴかぴかする鉄砲をかついで、白熊のような犬を二匹つれて、だいぶ山奥の、木の葉のかさかさしたとこを、こんなことをいいながら、歩いておりました。

「ぜんたい、ここらの山は、けしからんね。鳥も獣も一匹も居やがらん。なんでも構わないから、早くタンタアーンと、やってみたいもんだなあ。」

「鹿の黄色な横っ腹なんぞに、2、3発お見舞みまいもうしたら、ずいぶん痛快だろうねえ。くるくるまわって、それからどたっと倒れるだろうねえ。」

それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の鉄砲打ちも、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。

小学生の頃、国語で習った宮沢賢治の注文の多い料理店。

教科書には、わかりやすく文章、言葉を変えていたからだろうか、大人になって読み返してみる“注文の多い料理店”は、なんだか日本語があちこちおかしいじゃないか。昔の人の言葉なのだろうって言うけど、やっぱりおかしい。だけど何度も読んでるうちに、それがなんだか心地良く感じて来た。

病に感染せぬうちに、多くの人が感染してしまいハンドル失い、コントロールされてしまったこの時代。自動運転で勝手に進む道路は踏ん張るか、楽しくスキップ踏まなきゃ壁にぶつかるか、自ら奈落に落ちてしまう。

不安定の上をずっと生きてきた。

安く定めるって書く安定なんかずっと無縁だった。見渡せば、今回は皆の足下も不安定でどうしたものかと足掻いている。今回ばかりは僕だけじゃないんだと初めて、人間達に共感覚える。慣れてるはずの不安定だけど、今回の波は大きく、長く、いつもどおりしっかり僕を苦しめ追い詰める。

3月から一度もずっと自転車に木の箱を乗せることなかったけど、この時代に生きれるようソワソワとザワザワ、ハラハラをワクワクとドキドキに変換させて、より見えなくなった先の道を不安に思うでなく未知なる道を楽しみに生きてきた。

困ったことと言えば、お金が入らないだけで、しっかり楽しくて、大変で充実した毎日を過ごしてはいたが、やっぱり僕は紙芝居屋。紙芝居がしたい。これしかできない。

設立当初からお世話になってる京都国際マンガミュージアム。紙芝居は漫画の原点として、ここに僕らの紙芝居小屋がある。日々、ここでたくさんとお客さんに招き紙芝居出来ていたのだ。そこもずっとお休みだったが、6月の終わり、紙芝居小屋復活の話が持ち上がる。この時代で通用できる紙芝居を。

テレビの向こうからでも何度も耳にしたルール。それは僕が学んだ紙芝居を全て壊すものだった。師匠ヤッサンが紙芝居始めた頃も、紙芝居なんて不衛生と忌み嫌われていた頃、師匠は紙芝居をイメージを壊してやろうと、白いスーツに身を纏い、公園に出かけた。水あめ作る時は消毒液をかけ、マスクをつけ、エプロンをして。今では当たり前に思うことかもしれないが、40数年前、あの頃としては紙芝居のイメージを覆すまったく新しい取り組み。

今、僕らが試されてる時。挑む時。

師匠ならどうするだろ? なんて思うけど、もう僕は僕の人生を生きている。だけど、いつもいるのかいないのか、見てるのか見てないのか、いつか会えるのか、いつかなんてないのか、わかんないけど師匠を驚かせてやるって気持ちで挑んでる。

演者、お客さん同士、人と人との距離を開けよう。人数制限を設けよう。他の大人に負けないくらい口うるさく、アルコール消毒、マスク着用を徹底させ、演者である僕もマスクをつけよう。ただ同じマスクなんかじゃダメだ。もしかしたら、久しぶりの嬉し涙が飛んでったら僕の病気がうつっちゃうじゃないか。

だから顔全部にマスクをつけよう。

水あめもやめよう。景品もあげない。ハイハイ元気に手をあげるのもやめよう。ワッハッハするのもやめよう。自転車もやめよう。木の箱もやめよう。今までの衣装もやめよう。伸びた髪も切ろう。

そしたら僕の紙芝居には何が残る?
だけど、これしかできない紙芝居。

お金もない時間もない、誰もついてこない。そんな中、僕より先に弟子入りした男らっきょむだけが隣にいる。

僕らには何がある?
周りには自然がある。
この中で生きている。
これを持って行こう。

僕らは二人持ち慣れぬノコギリを持って毎日山に入った。右利きの僕らの左手指は傷だらけ。完成までに幸いいくつか指は残せた。マンガミュージアムのいつもの紙芝居小屋でなく、広い空間をとホールを使わせてもらえる。ここに入ってみたいと思う子ども心をくすぐってやらなくては。そこに竹林を作った。

竹の葉カサカサ、ギコギコいうノコギリと時々聞こえるお互いの悲鳴。いつまでもグスグス泣き止まぬらっきょむの嗚咽。先の見えぬ道について来れない気持ちも、説明書も企画書も設計図ない船になんか乗れない気持ちもわかるけど、そばにいる男らっきょむは僕以上に師匠の側、理不尽を受け止め生きてきた。ノコギリの手を止め、竹林から出てきて、顔合わせた時、僕らの紙芝居は出来上がっていた。

この注文の多い時代、僕らの受ける注文を子ども達、子ども心にも、注文ぶつけてやろう。ただし、口うるさいくらいに言われてる守るべきルールを楽しく。宮沢賢治の二人の紳士は愛犬が亡くなっても知らん顔。猟銃で命を奪うことに慣れてしまった二人が吸い込まれていく不思議なレストラン。

僕も命を肉として食べている。これはいつか取り組みたいテーマ。それはもう少し先に作るとして、この時代、僕らは何を受け止めなくてはならないのだろう。それを物語に。

『注文の多い紙芝居屋』

二人の紙芝居屋がすっかり大工さんのようなかたちをして、持ち慣れないノコギリとナタを持って竹林のカサカサしたとこに入って、こんなことを言いながら何やら話してました。

「ぜんたい、今の世の中はけしからんね。ここ数ヶ月、人前に立って紙芝居も出来やしない。早くたくさんの人前で紙芝居したいもんだね」

「大人も子どもも海外の人もみんなで一緒にワッハッハ出来たら、さぞかし痛快だろうねぇ。」

らっきょむだけでなく、マンガミュージアムの局長さんがチャレンジしてみてくれと企画書も説明書も設計図もない僕らの背中を押してくれた。ここでもたくさんの注文を受けたけど、この気持ちに応えたい。25の初公演1日前、雨降る京都の宿でもまだ絵を描いてる僕とらっきょむ。いっつもこうだこれからもこうだ。

そこに、今年の3月から内弟子生活終え家を出たぼんまるがふと現れた。

「今日まで力になれなかった事が後ろめたく、ずっと顔出せませんでした。なにかさせてください」

飲んだら100%お腹下すって8年間の内弟子生活で伝えてきたはずのコーヒーを差し入れに持って来た。師匠が残してくれたお弟子さん、紙芝居出来る舞台に僕は救われっぱなし。きっとこの先もずっと、師匠の残してくれた縁と師匠からもらった身体を使って、師匠に甘えて生きていくのだろう。

竹林には竹でできたポスト。紙芝居終え出て行く前に投函して欲しい。今度はこれからの今からの未来の自分への注文。『この命をどう生かす?』しっかり胸の奥に届くはずのポスト。

そしてようやく、一昨日、昨日と久しぶりの紙芝居。
久しぶりにマンガミュージアムの校庭で叫ぶ「紙芝居が始まるぞ!!」
いつも、これを師匠への挨拶って思ってたけど、この日はすっかり忘れてた。ただ嬉しくて。

口演中。マスクで人の顔がよく見えない。やりにくいけど、これはこれでやりやすい。そして、皆がつけるマスクで読み取りづらい笑顔。すごく自分勝手だけど、相手が楽しんでくれたかわかんないけど、久しぶりに紙芝居させてもらえて心が喜んでいる。楽しかった。しばらくは土日だけの紙芝居。

きっとまた、無理難題な注文受けるだろうこの先の未来。もしかしたら来週にはできなくなるかも。だけど、この先、また壊されても何があってもちゃんと立ち向かえるという自信が自分自身の身についた。紙芝居屋に限らず、全ての人にとって未知なる道。それならば、自分だけの道を歩きたい。

昨日のマンガミュージアムからの帰り道、空には見たことないくらいのでっかい虹が笑ってた。

7月27日。
今日は師匠の誕生日。そしてぼんまるの誕生日。師匠いなくなってもこの日にケーキが食べれる。今夜、ぼんまるを久しぶりに我が家に呼ぼう。


「注文の多い紙芝居屋」
場所:京都国際マンガミュージアム 多目的映像ホール
開催日時:土・日、祝日(12:00 / 15:00)
定員:最大15名